酷暑の中に散りし桜の・・・

後編



「それにしても本当に暑いな、京都は」
「これでも今日は涼しい方だって小母さん言ってたじゃない」
「うん。竹が陽を遮ってくれてるし、こうして吹いてくる風が気持ちいい」
 優しい風が竹林の間を吹き抜けていく。これから悲惨な話を聞きに行くとは思えないほど、私達は穏やかな気持ちに包まれていた。
「今はこんなに平和だし穏やかだけど、幕末までの京都って言えば、血塗られた歴史の街だもな」
 石川くんがぽつりと呟く。
「あら、その辺は事前学習してきたんだ」
「そりゃあしてくるよ。俺だって、恥は掻きたくないし…」
「ふーん…まぁ、いいけど」
 有華と石川くんの間に、微妙な空気が流れた。
「で、今日会うのは満蒙開拓団にいたおじいちゃんだっけ、遊?」
「うん。小西敬三さんっていったな。失礼のないよう頼むぞ。特によっちん!」
「えーっ、俺!?」
 よっちんのえもいわれぬほどの阿呆面に、みんな大爆笑した。

 小西敬三さん(八十三才)の話。
「私は昭和八年、北海道の片田舎に生まれました。両親は小さな畑を耕してその日の糧を得る、そんな暮らしだったんです。その後、多くの者が満州に渡る話を町長から聞き、ここにいてもこれ以上の生活は望めない、そう思ったんでしょう。私も満蒙開拓団の一員として両親や兄弟と満州に渡りました。満州に渡れば幸せになれる…そう信じて海を渡ったんです。でも…与えられた土地は痩せていて、とても米なんか作れない。稗や粟作るのが精一杯の土地でした。『騙された』みんなそう思いましたが、そんなこと言えません。余りの辛さに、逃げ出したものもいましたが、途中で捕まり殺されました。そこで何とか生きていくしかない、誰もがそう思っていた最中、突然戦争が終わってソビエト、ああ、今のロシアです。ロシアが侵攻してきたんです。正確な情報は何一つ与えられないまま噂が噂を呼び、大人たちはただただ逃げるんだというばかりでした。それでも逃げられたのは予め終戦の情報を知っていた軍人や役人だけです。私達一般人は取り残された、日本に捨てられたんです! …ああ、すみません、つい…侵攻してきたロシア兵に見つかった者、若い男はそのままシベリアに連れて行かれ強制労働を強いられました。年寄りはその場で殺され、女は…兵隊の慰み物になって殺されました。私の下には四人の弟妹がいましたが、戦争が終わった時、一番下の妹はまだ生まれたばかりだったんです。襁褓が汚れたと泣き腹が空いたと泣く。我慢なんて出来るわけない、赤ん坊なんですから。そんな妹を宥める母に、一緒に逃げてた大人達がこう言いました。『赤ん坊が泣いたら敵兵に見つかる。そしたらみんな殺される。だから赤ん坊を殺せ』と…妹はどうなったのかって? わかりません。母は妹を殺すことなんて出来ない、そういってその場に残り私達を逃がしてくれました。残留孤児が日本に来る度、妹ではないかと探しましたが、残念ながら見つかりませんでした…酷い話だと思うでしょう? でも、それが戦争なんです」

 寺島昭子さん(七十六才)の話。
「戦争が終わった時、私はまだ五才でした。だから戦争自体の記憶は余りないんです。防空壕に隠れたとか、B二十九が飛んでたとか、夜になったら灯りも点けられない、それらは、まぁ、日常のことでしたからね。あと、毎日どこかしらの町内から戦争へ行く兵隊さんを見送りに、駅へ行きましたよ。『誰々さん万歳!』って叫びながらね。母親から聞いたんですが、最初のうちは、兵隊さんも志願者だけだったんだそうです。でも戦況が悪化するにつれて、召集令状、通称『赤紙』っていうのが届き、有無も言わさず戦争に駆り出されて行ったんだそうです。女子供は『銃後の守り』だとか言われ、薙刀の訓練とかしてたんですって。鉄砲で撃ってくるもんに、薙刀で勝てると思いますか? でも当時は、誰もが真剣に信じていたんですね、日本の勝利を…獲られたのは人だけじゃありませんよ。軍艦や飛行機や鉄砲の弾作る鉄が足りないっていうんで、鍋釜からお寺の鐘まで持っていかれました。あとは、そうですね…戦争が終わった日、天皇陛下がお言葉を下さるっていうんで、戦争に勝ったかと思い聞いていたら、そのうち大人たちがみんな泣きだしたんですよ。嬉しくて泣いているのかと思ったら、どうやら違うらしい。その異常な雰囲気は、子供の私にもわかりました。どうして泣いているのか母に尋ねたんです。そうしたら母は『日本が戦争に負けた、みんな殺される』そう言って泣き続けていました。あれは、本当に暑い日でしたねぇ…」

 聞き取りが終わった後、一言も発せず私達は岐路についた。重苦しい雰囲気の中、遊がみんなを宥めるように言った。
「小西さんが言ってただろ、『これが戦争なんだ』って。楽しい話なんて聞けるはずない、最初からわかってたことだ。それに…」
「…?」
「聞いてる俺達より、話してくれた小西さんや寺島さんの方がどれだけ辛かったか…それでも話してくれたお二人の思いを無駄にしちゃいけない、俺はそう思う」
「そうだね。前野くんの言う通りだね。これが『後世に伝える』ってことなんだもね」
「よし! 帰ったら今日のまとめ頑張るぞ!」
 珍しくよっちんがヤル気を出して片手を高々と上げた。
「その前に飯だ! そう思ってんだろ?」
「それを言っちゃおしまいよ!」
いつしか私達は、笑いを取り戻していた。



「どうどした、お話は? 上手く聞けましたか?」
「はい、何とか」
 夕食を頂きながら、私達は聞いてきた話をぽつり、ぽつり叔母さんに話した。
「あたしも母から聞きましたよ、同じようなこと。子供達守るのに必死やったってな」
「大変な時代だったんですね」
「そりゃぁ、戦争してるんそやし、のんびりはしてられませんよ」
「ですよね」
「そやけどね、ほんまにえらいやったのは戦争終わった後やったと聞かされましたよ」
「戦争終わって平和になったんじゃないのかな」
「日本は敗戦国そやし、連合軍の言うとおりにせないかんかったのよ、なんそやけどね」
「GHQか…」
「とにかく食べる物がなくて、連合軍からの配給が命の綱どした」
「食べる物ないなんて、俺死んじゃう!」
 よっちんがみんなを笑わせる。けど、叔母さんは少しも笑わなかった。
「冗談じゃなく、ほんまに食べる物がなくて死んでいった人も大勢いましたよ」
「あ…すみません…」
「なんであなたが謝るんどす?」
「いや、少し不謹慎だったかなって…」
「もう遠い、昔の話どすよ…」
 叔母さんは、どこを見るでもなく遠い目をした。
「嫌どすよ、お箸止めいで、ささ、食べて」

 夕食後、お風呂を頂き、私達は男子部屋で今日のまとめと明日の話し合いをした。
「予想はしていたけど、想像以上生々しい話だったな」
 石川くんが溜め息を一つ溢した。
「小西さんの話聞いてて、私涙止まらなかった。子供殺せって言われた時の母親の気持ちって、どんなだろう…そう思ったら、もう…」
「未央、ずっと泣いてたもんね」
「未央は昔から泣き虫だからな」
「そんなことないもん!」
「その点有華はすげーよな。眉一つ動かさないで聞いてたからさ」
「何、私は冷徹漢だとでも言いたいの?」
 有華が拳を握り締めるのを見て、よっちんが振るえ上がった。
「い、いえ、何でもありません…」
 賺さずよっちんが手を合わせる。毎度見ている光景。もしかしてこの二人、意識し合ってるんじゃ…って、何邪なこと考えているのよ、私! 今はそんな場合じゃない!
「明日は、原爆の話かぁ…今日より凄いのかな」
「ん〜、多分…」
「去年修学旅行で行った原爆資料館、衝撃的だったもな」
「でも、あれじゃ時間足りない。もっとゆっくり見たかったし、語り部さんの話も全員分聞きたかったな」
「今思えば、だよね。まさかこんな宿題出るなんて思ってなかったし」
「出した本人も考えてなかったんじゃない」
「にしても、何でこんなこと思いついたんだろうな。気紛れにしちゃ課題が重すぎる」
「何か、あったんでしょう、きっと」
「何かって?」
「先生を突き動かす『何か』が」



 鈴村時江さん(八十才)の話。
「忘れもしません。昭和二十年八月六日、朝の八時十五分。その頃私は国民学校に通っていました。家は爆心地から三キロ離れたところにありました。あの日は前日からの熱が下がらず、熱のせいで頭も痛く、吐きそうになって身体を起こした瞬間です。もの凄い光が家を照らしたかと思ったら遅れて耳を劈くような轟音がして、辺りが真っ暗になったんです。どれくらい経ったのか覚えていませんが、多分二、三分だったと思います。何が起きたかわからないでいる私は、身体に重みを感じ起き上がろうとしました。顔を横に向けるとそこには、頭から血を流してる母がいました。呼んでも返事はなく、ピクリともうごきません。もう母は死んでいる、ひと目でわかりました。母は瞬間的に私を庇って倒れた箪笥と屋根に押し潰されたんです。さっきまで笑顔でおかゆを作ってくれていた母。子供ながらに、とんでもないことが起きた、そう悟りました。もう、熱があるとか言ってる場合じゃありません。ここから出なければ。けれど柱に挟まれた足がびくともしなくて動けません。だから必死に叫びました。『助けてぇー、ここから出してぇー!』何時間そうしていたのでしょう。『母さん! 時江!』私達を呼ぶ声が聞こえました。兄でした。郊外の鉄工所に働きに行っていた兄が帰って来たんです。『兄ちゃん、兄ちゃん!』私は必死に兄を呼びました。倒れた家から私を救い出すのは容易なことではなく、近所の人の力を借り、私が助け出されたのはもう真夜中近くでした。家の中も地獄でしたが、外はもっと地獄でした。建物の殆どが倒壊し、一面焼け野原です。あちこちに人の死体が転がっていて、生きてる人間は見向きもしません。そりゃぁそうです。自分のこと、自分の家族探すので体一杯なんですから。我が家は結局、父も姉も見つからず、私と兄だけが生き残りました。助け出された私はすぐに病院へ連れて行かれましたが、そこも地獄でした。全身大火傷を負った子供や片腕が千切れた赤ちゃん。顔の半分が抉られた若い男の人や、もう、言い出したらきりがありません。ピカドンが落ちて黒い雨が降りました。その雨の中には大量の放射能が含まれていて、それを浴びた人たちに異変が起きたのは、ちょうど一週間くらい経ってからでした。昨日まで元気だった人が、急に髪が抜け出したかと思ったら、あれよあれよという間に死んでいくんです。そんな人を何人見てきたことか…でも、本当の恐怖は原爆後遺症と言われるものだったんです。浴びた本人だけじゃなく、その子、孫に遺伝していく。兄の娘も、十六の時発症し、苦しんで苦しんで死んでいきました。まだ十九だったのに…一体、あの子が何をしたっていうんでしょう。戦争が終わって十年以上経って生まれた子に、何の罪があったんでしょう…」



 昨日にも増して重い空気が私達を支配していた。普段ならじゃれあって冗談言い合ってるよっちんと石川くんでさえ、無言のまま下を向いている。遊はずっと、私の背中を擦ってくれていた。そんな中、有華がぽつり呟いた。
「なんでみんな暗い顔してんの?」
「なんでって…あんな話聞いた後なんだぞ。ヘラヘラ笑ってられっかよ」
「いいんじゃない、笑ってて」
「お前っ! それ本気で言ってんのか!?」
「本気だけど」
「原爆のせいで死んでった人、可哀相だとは思わないのかよ!」
「思ったところでどうなるの?」
「どうなるって、どうにもならないけど、でもね、有華…」
「可哀相って同情したって、亡くなった人は返って来ないのよ。だったら、今こうして平和に笑っていられるのはあなた達の犠牲の上に成り立っているんだ、そう感謝する方が正しいと私は思う」
「お前はそう思うかもしんねぇけど、みんながそう簡単に割り切れるとは限らないだろ?」
「俺も、有華の意見に賛成だ」
「遊!」
「俺達に話してくれた人達は、きっと『一字一句聞き逃さないでくれ、一字一句間違わず後世に伝えてくれ』そう思ってるんじゃないかな」
「うん…」
「戦後七十年経って、語り部と言われる人がどんどんいなくなってる。今回聞いた話を、今度は俺達が後世に伝えていかなきゃならないんだ」



 京都から帰った私達は、受験勉強の合間を見計らって集まり、個々に纏めたものを全員の宿題として一つの形にする作業をしていた。国語が余り得意じゃない私は、よっちんと一緒に犠牲者の数や被害家屋の数など、数字で表せるものをPCでグラフ化していた。
「どうだ、そっち?」
「うん、もう少しで入力終わる。遊と有華は? そっちの方が大変じゃない?」
「全然。受験勉強の息抜きにちょうどいい」
 これを息抜きと言える有華、さすが京大行こうかなと言う才女だ。今回は自分の籤運に感謝だな…
 なんて思っている時、石川くんが資料室に飛び込んできた。
「どうした、息切らして?」
「近所のばぁちゃん、沖縄戦経験してるんだって! 話聞かせてくれるっていうけど、どうする?」
「えー、また話増えんの? ここまでやったのに?」
「俺は聞きたい、有華と未央は? 堪えられないようなら、俺と石川で聞いてくるけど?」
「ううん、一緒にいく。ねぇ、有華?」
「勿論」
「じゃあよっちんは打ち込みの続き、よろしく!」
「いや、俺も行く!」
「無理しなくてもいいんだよ?」
「無理じゃない、とにかく行く!」
 こうして私達は、再び昭和二十年に引き戻されることになった。

 比嘉ノブさん(七十六才)の話。
「戦争ね…忘れたくても忘れられんね。沖縄は日本で唯一、地上戦のあったとこだから。毎日爆弾の雨が降ってましたよ。今更私が言わなくても、戦争がどんなものかくらい、あなた達は知ってるでしょう。私が語れることったら、目の前で父が…戦闘機から撃たれた銃弾に当たって死んだ…それくらいです。あの日は、本当に暑い日で、さとうきび畑に出ていた時、敵機が飛んで来ました。父は私をさとうきび畑に隠し、自分が囮になって私を守るため飛行機の向かって飛び出して行ったんです。飛行機の轟音と銃弾の音で、父の悲鳴さえ聞こえませんでしたよ。余りの出来事に私はそこから動けず、見つけ出されたのはその二日後でした。その日も、本当に暑い日でしたねぇ…」

十一

 秋も深まり季節はもう冬、受験シーズンは佳境を迎えた。遊と私、それに石川くんは早々に推薦を決め例の『命題』に掛かり切りになっていた。有華とよっちんには安心して受験勉強に取り組んで欲しい、ささやかなエールだけど…。

 年が明け一月、有華はセンター試験に合格。藤原くんと共に四月から東大生だ。よっちんは美術関係の専門学校に行くことが決まり、これでクラス全員の進路が決まった。

 あの『命題』はどうなるんだろう…。
 出した当の森っちゃんは何も言わない。このまま卒業なんてこと、ないよね…? 一度藤原くんが、クラスを代表して聞いたことがあったけど、その時は『ん? 後でな』とかわされてしまった。一体、森っちゃんは何を考えているのだろう…。

 そうしているうちに私達は卒業式を迎えた。無事式も終わり、クラス全員が教室に戻った時、藤原くんが森っちゃんに詰め寄った。
「先生、始業式の時に出された『命題』あれはどうなるんです?」
「まぁ、そう慌てるな」
「慌てるなって、私達今日で卒業なんです」
 いつも冷静な三木さんまでもが怒っている。そりゃぁそうだよね。わけわかんないまま命じられるように出された課題やってきたんだから。
「おーし、答え合わせするぞ。みんな席につけ!」
 全員を席に付かせると森っちゃんは、課題の発表をそれぞれの代表者に命じた。何を言うでもなく、ただ黙って私達の話を聞いている森っちゃん。その目には終始涙が浮かび、誰に憚ることなく泣き続けた森っちゃん。一体何が、森っちゃんをここまで突き動かしたのか? 有華の呟きが頭を過る。
 最後の発言者、遊の発表が終わった。
「お前達、よく聞いて来てくれた。うん、凄いぞ、ありがとう」
「ありがとうって、これは俺達の…」
「宿題と言った。でも本当は俺の使命に協力してもらったんだ、みんなに」
 みんな、何のことだかさっぱりわからない、そういった顔でポカーンとしている。
 実はな、戦争教育にもっと力を入れたい、ずっとそう校長に懇願していたんだ」
「いつから?」
「一昨年くらいからかな」
「それで?」
「授業は教科書通りに進めなきゃいけない。だけど教科書だけじゃ伝えきれない。それで去年お前達を受け持つことになった時、これはチャンスかもしれないって思ったんだ」
「チャンス?」
「文科省や出版社が作れない『戦争教科書』を作るチャンスだってな」
「どうして俺達だったんですか?」
 当然の疑問を藤原くんが投げかけた。
「お前達だったから」
 森っちゃんの答えにみんな『ん?』となる。ある者は顔を見合わせ、ある者は首を傾げる。
「森っちゃん、それじゃわかんねーよ」
 こういう時のよっちんは切り込み隊長みたいでカッコいい。
「去年一年このクラスを見てきて俺は確信した。藤原や三木を中心としたクラスの結束力。みんながみんなのために頑張れる優しさ。そういうお前達に賭けてみよう、そう思った。そしてお前達は、俺の期待以上の結果を出してくれた」
 何だかわかったような、わからないような…。
 とにかく森っちゃんが私達を信用して、大事な仕事を任せてくれたのは確かなことだ。
「じゃあ、俺のきっかけ、今から話す。それがお前達に向ける餞の言葉だ」
 そういうと森っちゃんは、胸ポケットから茶色い紙を出して読み始めた。

「父上様、母上様、お元気ですか。庭の朝顔は、見頃を迎えていますでしょうか。小生、いよいよ明日、御国のため敵軍を撃破すべく出撃することと相成りました。予報では晴れ、絶好の出撃日和です。父上様も母上様も、残暑厳しき折、お体お大事にして下さい。そしてどうぞ遠いその地より、成功お祈り下さいませ。生んで頂き、ありがとうございました。

 昭和二十年八月十八日 森川靖」

 その瞬間、まるで彼の涙のように、早咲きの桜が一斉に舞った。

(了)

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