酷暑の中に散りし桜の・・・

前編

序章

 高校生活最後の年、三年の始業式後、どういう気紛れでそんなこと思ったのか社会科の教師で私達の担任の森川先生、通称「森っちゃん」がこう言った。
「えーっと、この箱の中に番号書いた紙が入ってる。まぁ、要するにくじだ。順番に引け! 男子は青い箱、女子はピンクだ。いいな、間違えるなよ」
「はーい、僕チン、ピンクがいいですぅ〜」
 クラスのお調子者、よっちんがオネェ口調でみんなを笑わせる。
 森っちゃんの意図することがわからないまま、私達は箱の中に手を入れて紙を掴んだ。
「二番・・・」
「同じ番号同士で集まれ! このクラスは三十五人だから七つのグループが出来てるはずだ、どうだ?」
「で、森っちゃん。こんなグループ分けして何させようって魂胆?」
「もしかして合コン?」
「合コンってな、もう一年以上毎日見合いしてるだろうが!」
 森っちゃんの言葉にクラス中が笑った。
 世の中には、いじめが横行してる学校やクラスがたくさんあるけど、私達の三年三組はそんな欠片すらない。それはきっと森っちゃんの人柄、クラス委員の藤原くんと三木さんの努力、下野くんや羽田野くん、神谷さんたち人気者が作ってくれる何とも言えない雰囲気。それら全てが作用してこのクラスは纏まっているんだ。
 五人づつ、七つのグループに分かれた私達を見て森っちゃんは黒板に大きな文字でこう書いた。
『戦争』
 一瞬静まった教室。でもそれはすぐざわめきに変わった。戦争って、どういうこと?
「静かに!」
「森ちゃん、それ、どういうことさ?」
「これから追々説明する。とりあえずグループごとに座れ」
 言われるまま私達は机をくっつけて座った。
「何だ、お前も二番だったのか」
「それはこっちの台詞。なんでこんな時まであんたと一緒なんだか…」
「そう言うなって。これも運命なんだからさ! あはは!」
「全く、遊となんてホント迷惑な運命だわ…」
 私が『遊』と呼んだのは前野遊。小学校からずっと一緒、つまり腐れ縁のクラスメイト。
「おっ、さっそく夫婦喧嘩か?」
 よっちんが茶化してくる。
「あんた、殴られたいわけ?」
「まさか! とんでもない!」
 私の差出した拳に、よっちんは両手を振ってイヤイヤする。
「遊と未央が一緒じゃ、前途多難ね…」
 有華までもそういうこと言う?
「まぁ、何が始まるのかわかんないけど、みんなよろしくな!」
 で、なんだかんだその場をキチンと纏めてしまう遊。全く、調子いいんだから…
「で、森っちゃん。戦争って、あの戦争?」
「そうだ。人と人とが殺し合う、あの戦争だ」
 普段の森っちゃんからは想像も出来ない言葉が飛び出してきた。その口調は真剣そのもので、誰も反論はおろか口出しさえ出来ない。
「今年から選挙の投票年齢変わるよな。下野、いくつだ?」
「えーっ、選挙って二十歳じゃないの?」
「何だお前、そんなことも知らないのか? 漫画読むのを否定はしないけど、もう卒業後の進路考える時期なんだぞ。ニュースくらい観て時事問題に備えとけよ!」
「大丈夫、俺達には森っちゃんって強い見方がいるから!」
 下野くんがおどけて親指を差し出した。クラス中が笑いに包まれても、ただ一人、森っちゃんだけは笑わなかった。
「今憲法改正が議論されている。一番重要なのは第九条の改憲だ」
「九条?」
「お前、九条知らないのか? 平和憲法だよ」
「平和憲法? 日本、平和じゃん?」
「だから、その憲法があるから、日本人は戦争しないんだよ」
「したくても出来ない、ってね」
「え、自衛隊は? あれ、軍隊じゃないの?」
「実質軍隊だ。だけど九条があるから後方支援しか出来ない」
「なるほど…」
「おい、大丈夫か吉野。こんなの、今時の小学生でも知ってるぞ」
 また教室がどっと沸く。
「でさ、結局のところ九条って何の法律?」
「お前、憲法と法律の違いもわかんないのか」
 さすが藤原くん、委員長が呆れて手を差し伸べた。
「簡単に言うと、国家権力に対して制限を課し国民の人権を保障するのが憲法。逆に国が国民に対し制限を掛けるのが法律だ」
「すっげー、さすが藤原、よっ、委員長!」
「茶化すな、まだ話は終わっていない。さっき森っちゃんが言った九条とは、戦争を放棄をするというものだ、永久にな」
「そんないい法律、なんで変える必要あんの?」
「だから! 法律じゃない、憲法だ!」
 藤原くんは、心底呆れた顔して溜息をついた。
「外交問題よ」
「外交、問題…?」
「今はさ、アメリカが日本守ってくれてんだろ?」
「ん…なのか?」
「もしどっかで紛争があったらアメリカは自国の軍隊出すよな。だけど日本は九条があるから戦争には参加出来ない。だから金だして『これで何とかしてくれ!』っていってたわけ」
「ふんふん…」
「ここまではいいか?」
「うん」
「今まではそれで良かったけど、そうも言ってられなくなってきたんだ」
「なして?」
「日本は金だけ出して最前線に自国民を送らない。って諸外国から非難轟々さ」
「他の国は自国民を犠牲にして戦争してんのにお前達は何だ! ってわけ」
「確かに、それは一理あるな」
「急に知ったかぶるな!」
「なんだと!」
「こらこら! 喧嘩はいかんぞ!」
「だって森っちゃん、委員長が…」
「知らないお前が悪い!」
「ちぇっ、森っちゃんまで俺馬鹿にして…」
「馬鹿になんかしてないよ。森っちゃんがそんな人じゃないこと、よっちんだって知ってるでしょ?」
「…ん」
「じゃあ、いいか。外交問題はそのくらいにして本題に入るぞ!」
 本題…当然、戦争のことだよね。でも、戦争の何が本題なんだろう…
「夏に参議院選挙がある。その時に十八になっている者、どれくらいいる?」
 森っちゃんは教室を見渡した。
「大体半分ってとこか」
「えっ? 同じ三年でも、出来る人と出来ない人がいるの?」
「それ、不公平じゃね?」
「不公平でも何でも、選挙当日に十八になってなきゃダメなの!」
「大体、世の中不公平で理不尽なことばっかだし…」
 そう言うと、有華は窓の外に広がる空に目をやった。
 有華は美人だし頭もいい。委員長の藤原くん同様、全国模試ではいつも十番に入る秀才。だけど、どこか世の中を達観してるっていうか、諦観してるっていうか…だからって付きあいづらいわけじゃなく、スイーツやコスプレ大好きな普通の女子高生だ。
 有華の一言でみんなが言葉を飲んだ。
「やっと大人しくなったな」
 森っちゃんの苦笑いに私達も苦笑いする。
「いいか。よく聞け。先の戦争で国に駆り出され死んでいった者の殆どが、お前達と同じくらいの若者、青春を謳歌したかっただろう者達なんだ…」
「…森っちゃん」
 一瞬、森っちゃんが泣いたような気がした。
「無論、自ら進んで志願した者もいたけど、大半は通称『赤紙』という召集令状が送り付けられ、泣く泣く戦争に行ったんだ」
「嫌々?」
「そう。『大日本帝国憲法』の名の下にな」
「でも、憲法って、国民が国を監視するものじゃないの?」
「今みたい言論の自由なんてない時代だよ。国や天皇のことなんか言っただけで直ぐ捕まって拷問されたんだ」
「ひでぇ…」
「今の憲法は、戦後アメリカが作ったんだよね?」
「そう」
「じゃあさ、自分達が戦争するなって憲法作っといて、それが今はアメリカにとって足枷になってるってことなんだ」
「そういうこと」
「そこで本題だ。戦争が終わって七十年が過ぎた。ということは、戦争について語れる人がどんどんいなくなる、ということなんんだ」
「まぁ、そうかもしんないけど、戦争のこと書いた本だって映像だってたくさん残ってるじゃん」
「確かに、福山の言う通り資料としてはたくさんある。だけどな、そのことを体験してる人が語る話は、どんなに素晴らしい人が書いたり撮ったりした物には及ばないんだよ」
「そうかなぁ…私、終戦特集かなんかで映像見たけど、気持ち悪くなるくらい凄くて…もう、涙止まんなかったよ」
「そういう森っちゃんも戦争知らない世代だよな、完璧」
「俺の親も戦後生まれだ」
 森っちゃんの言葉にクラス中がざわつき始めた時、藤原くんが尋ねた。
「先生、それで俺達にどんな宿題を出すんですか?」
「宿題!?」
「いや、テーゼ…かな」
「テーゼって、なんだ? なんか聞いたことあるような…」
「アニメの歌にあったじゃん、『残酷な天使のテーゼ』って」
「ああ、エヴァな」
「そうそう!」
「で、テーゼって何?」
「宿題より更に重い『命題』だよ」
 命題・・・真実か偽りか、どちらかしかない文章。『これはこうだったからこうだろう』なんて曖昧な表現が許されないもの。
「てことは、何? 先の戦争が正しかったか正しくなかったか結論出せってこと?」
「そんなの、話すまでもないんじゃない。戦争に正なんてないと思うよ」
「『思う』じゃダメなんですよね、森っちゃん?」
「まぁ、突き詰めればそういうことなんだけど、俺がお前達に考えて欲しいのは、『自分にとっての戦争』なんだ。これを、卒業するまで一年掛けて答えを各々導き出して欲しい。勿論、俺もやる」
「わぁ、森っちゃんも参戦?」
「俺も戦争知らない世代だからな」
「じゃあ、頑張るしかないね」
「ねぇ、森っちゃん。調べる方法はどんなんでもいいの?」
「いいぞ。但し、一つだけ条件をつける」
「条件?」
「必ず聞き取り調査をすること」
「聞き取り調査って?」
「誰でもいいから、実際に戦争を体験したした人から話を聞くってことだ」
「えーっ! 俺んち、戦争体験者なんていないよ!」
「お祖父ちゃんちゃんとかお祖母ちゃんは?」
「二人とも戦後生まれ」
「えーっ、若っ!」
「って、普通じゃない? うちのじいちゃん達も戦後生まれだよ?」
「だったら曾祖父ちゃんとかに聞くしかないか…」
 などという会話がクラス中で飛び交った。



 学校からの帰り道、私はずっと『戦争』について考えていた。うちの親も戦後生まれだから当然戦争のことなんて知らない世代なわけで…。
「祖父ちゃんなら知ってるかな…」
 私の祖父ちゃんは今年九十三になる。大分耳は遠くなったけど、それでも朝必ずラジオ体操するくらい元気だ。
「週末、じいちゃんとこ行ってみるか…」
「よっ! 今帰りか?」
 思い切り背中を叩かれた。
「痛っ! 遊!」
「どうした、ぼーっとした顔して。そんなんで歩いてたら車に轢かれんぞ」
「余計なお世話」
「何考えてたんだ?」
「別に、何でもいいじゃん」
「ははーん。さては俺のこと考えてたな」
「はぁ?」
「どうやって俺に告ろうかとか?」
「ばっかじゃないの! 何で私があんたに告らなきゃなんないのよ!」
「好き、だから?」
「…阿呆らし…」
「阿呆らしいって、それは冷たいんじゃない、未央」
「気安く名前呼ばないでよ」
「お前だって俺呼び捨てしてんじゃん」
 そう、だった…
「わ、私はいいの!」
「なんでお前だけいいんだよ?」
「それは…私が私だから! 何か文句ある?」
「はいはい、未央様…」
 それから私達は無言で歩き、いつもの駅で別れた。



「どうした、未央。元気ないな」
 ソファーでクッション抱え、テレビも見ていない私に父が声を掛けた。
「あ、うん…」
「遊くんと喧嘩したんですってよ」
「違う、喧嘩なんかしてない!」
「お前さ、少しは女らしくしないと遊くんに嫌われるぞ?」
「何言ってるの、パパ。私は遊なんか好きじゃ…」
「イヤよイヤよも好きのうちってな」
「本当に好きじゃないってば!」
 私は思い切りクッションを父に投げつけ自室に向かった。
 ほんとに、遊なんか好きじゃない。好きじゃ…。
 って、今はそんなこと考えてる場合じゃないんだ! 私は慌ててリビングに引き返した。
「あれ、パパは?」
「未央に嫌われたって、泣きながらお風呂入りに…」
 母の言葉を半分だけ聞いて、私は父を追った。
「パパ! …キャーっ!!!」
「キャーってそれはこっちの台詞だ! いきなり入って来るなんてお前、女としてのデリカシーってもんないのか!」
「パパこそ服着てよ!」
「服着たまま風呂入るバカどこにいるんだ!」
 言われてみればそうだ。この場合、父が正しい。
「ごめん。リビングで待ってるから」
 風呂場を後にしてリビングへ戻ると、ちょうどニュースがやっていた。たまたまなのか、九条改正の話で、キャスターとコメンテーターが激論を交わしていた。いつもならニュースなんか見ない私が、食い入るよう見てるから不信に思ったのだろう。母が尋ねてきた。
「どうしたの、珍しい。未央がニュース見てるなんて」
「こ、これでも一応受験生だからね。時事問題にもアンテナ立てとかなきゃ」
「なーに、森川先生の受け売り?」
 母が笑った。
「いいじゃん、そんなの…あっ! それよりママ、祖母ちゃん達から戦争の話聞いたことある?」
「何、急に?」
「ん、実はね。卒業まで一年掛けて『自分にとっての戦争』ってテーマの勉強することになってさ」
「戦争ねぇ…ママのお母さんはまだ四歳だったし、田舎だったから直接爆弾落ちたとかはなかったみたいよ」
「聞いてはいるんだね?」
「うん。防空壕へ入った話とか、B29が上空飛んでたとか…それくらいかな」
「祖父ちゃんは?」
「戦争ごっこしてたって言ってたな」
「戦争ごっこ?」
「要はチャンバラよ。互いに相手を敵にするわけ」
「あー、なるほど…」
「ママやパパは高度成長期生まれだし、家族で戦争行った人いないから、未央が期待してるような話、聞けないかもね」
「あー、それじゃ困るんだよ」
「なんで?」
「『必ず戦争体験者の話を直接聞く』ってのが今回の重要なテーマなんだ」
「あら、そうなの。戦争知ってる人、どんどん少なくなってるのに、森川先生も難題だしてきたわね」
「それが理由なんだって」
「理由?」
「戦争体験者から話聞いて、それを後世に語り継いでいく、ってのが先生の目的らしいんだよねぇ…はぁ、だからって何も生徒使わなくたって…」
「いや、実にいい教師だ」
「パパ! 聞いてたの?」
「ああ、聞いてたよ」
「じゃあ、パパも協力して、お願い!」
「明日会社行ったら、そういう体験者が身内にいないか聞いてみてやる」
「キャー! パパ大好き!」
 娘というのは調子いいもので、普段は臭いだのウザいだの言ってるのに、こういう時だけは大好きに変貌するのだ!



 始業式から三ヶ月。大した収穫も結果もないまま、もうすぐ夏休みになるというある日の朝、遊が大慌てで教室に飛び込んできた。
「ビッグニュース!」
「なんなのよ、朝っぱらから煩い…」
「これをビッグニュースと言わず、何をビッグニュースと言うんだ!」
「だからなんなのよ。推薦でも決まったの?」
「そんなの大したことじゃない!」
 大したことじゃないって、こいつホント腹立つ! 確かに遊は頭もいいしスポーツ万能だし、何より腹立つのは、アイドル並みにお顔までいいときてる。バレンタインや誕生日には、山のようなプレゼントもらうモテ男なんだ。平凡な私とは大違い。だから余り遊とは係わりたくない。自分の惨めさが増大するから…。
「で、何なのよ、推薦が翳むほどのニュースって」
「俺の祖父ちゃん出身京都なんだけど、そん時の友達がまだ京都にいてさ、聞き取り調査に協力してくれるって言うんだ」
「うえーっ、マジか?」
「その人さ、終戦の時国民学校に行ってたから、戦争のことはっきり覚えているんだって。で、もっと凄いのは、その人の友達に何人も戦争体験者がいて、まだ矍鑠としてるんだってさ!」
「だから?」
「みんなでさ、京都に取材旅行行こうぜ、夏休み!」



 夏の京都は暑い。東京も暑いけど、湿気が半端ない。
「ふぇーっ、なんだこの暑さは!」
 よっちんはすでにヘバっている。
「いやぁ、本当に暑いね。暑いとは聞いていたけど、ここまでとは思わなかった」
「俺は毎年墓参り来てるからな。この暑さで夏感じる」
「あ!」
「どうしたの、有華?」
「抹茶ソフト!」
「あー、本当だ! 食べたい!」
「着いてすぐ食い気か!? これだから女は…」
「何?」
「いえ、何でもありません…」
 有華には逆らえないと思ったのか、よっちんが率先してソフトを買ってくれた。
「あれ、遊は? 食べないの?」
「ん? ああ、俺はいい」
 毎年京都に来てるんだ。食べ飽きてるのかな。
「やっぱ一口くれ」
 そう言って私のソフトをペロっと舐めた。
「!?」
「あー、何やってんだよ、そこ!」
 私自身、何が起きたのかわからないままボーっとしてたら、石川くんが大声を上げた。
「何って、ちょっと食いたくなったから」
「だからって未央の…」
「ああ、それ? こいつは幼馴染だからさ、こんなの昔から…」
「してない!」
 もう、遊との昔話はいい!
「未央…」
「もう早く食べて行くよ」
「そうだね」
 その場の雰囲気を察してくれたのか、有華が私の手を引き歩き始めた。
「で、前野くん、どのバスに乗ればいいの?」



 さすが千年の歴史を持つ古都、町並みも美しい。中学の修学旅行で来た時は余り感じなかったけど、こうして少しは大人に近づいてきて、物に対する視点や観点も随分変わったなと自分でも思う。それにしても、さすがの観光地、人が多い。
「ねぇ、前野くん」
「ん?」
「本当にいいの?」
「何が?」
「こんな大勢で押しかけちゃって」
「ったって五人だろ。平気平気!」
 屈託なく、遊が笑った。
 今回の取材旅行で問題になったのが宿泊先だった。二、三泊とは言っても、さすがにその全額を捻出するのは高校生にはキツい。などと話していたら、『母さんの叔母さんち泊めてもらえばいい』遊がそう言ったのだ。
「でも、前野入れて五人だぜ!? いくらなんでもそれは迷惑だろ?」
「大丈夫だよ。もう話ついてるし」
 こういう時、遊の行動力は半端ない。誰も追いつけないくらいさっさと動き、みんなが喜ぶことをしてくれる。それは、小学生の時から何も変わらない。
「だも、モテるよな…」
「誰がモテるって?」
 私の呟きを聞いていた石川くんが突っ込んできた。
「誰でもない! もう、いちいち突っ込んでこないでよね」
「気になるんだからしゃーないだろ?」
「私のことなんて気にしなくていいから、取材計画キチンと考えて」
「そうそう!」
「ぶぅ…」
 そうしているうちに、バスは目的地に着いた。
「降りるぞ!」
 遊を先頭に歩き出す。
「どれくらいかかるんだ?」
「五、六分ってとこだ」
 嵐山の近くってこともあり、ここにも観光客が大勢いる。
「なんか京都って、どこに行っても人だらけだな」
「そうでもないぜ。一本脇道に入ったらこんなもんだ」
 遊が細い路地を左に曲がった。そこには今まで見てきた京都とは全く違った趣があり、ここで暮らしている人たちの生活観が滲み出ている。
「あー、こういうの好きだな。大学、京都にしようかな…」
 私がそういうと有華が言った。
「未央が京都の大学にするなら、私京大にするかな」
って、京大にするとか然も平然というところが有華らしい。まぁ、有華なら難なく受かるんだろうけど…
「さ、着いた」
 そう言って遊が立ち止まったところ…私が想像していた家とは全く別物で、その佇まいと雰囲気はかなりの年代ここで人々の生活を見守ってきたことを、容易に想像させた。
「凄いな、この家」
「何部屋あるの?」
「八LDKくらい?」
 普通の人には絶対持てない間取りだ。
「この家、凄く歴史あるみたいだけど、築何年?」
「ん〜詳しくはわかんないけど、三百年くらいは経ってんじゃないかな」
「さ、三百年!?」
 よっちんが大袈裟に驚いた。
「そう驚くなって。こんな家、京都にはゴロゴロあっから」
 そう言って笑いながら、遊は大きな門を潜った。
「叔母さーん、こんにちはー! 来たよ」
「まぁ、遊ちゃん、おいでやす」
 この豪邸の主と思われる、上品な女性が私達を出迎えてくれた。遊が一人一人紹介してくれて、各自それぞれに挨拶を交わす。
「ごめんね、無理言って押しかけてきて」
「何言うの。こんな若い人達が大勢来てくれはって、嬉しいわ。ささ、上がって」
 叔母さんに促され、私達は母屋に通された。黒光りした柱や欄間は、そこが何百年という時を重ねて来たことを物語っている。
「叔母さん、これ母さんから」
「かなんわぁ。土産なんて持たさなくてええって、典子はんに言うたのに…」
「そういうわけにはいかないよ。こんな大勢で世話になるんだから。なぁ?」
 いきなり遊に話を振られあたふたしてしまう。
「はい、そうです! あっ、私もこれ母から…」
 そう言って母に持たされた物を差出した。私が土産を出したのをキッカケに、みんなもそれぞれ土産を出す。
「もう、こんなことしなくてええのに。さかしまに気ぃ遣わしてもうて堪忍ね」
「いえ、気に入っていただけるといいんですが…」
 何故こう言ったのか、母に持たされた物が食べ物ではないからだ。
『遊ちゃんの叔母さんって、生まれも育ちも京都だっていうし、いいところに嫁いだ方だから何持たせたらいいか悩むわね』
 そう言って母が持たせてくれたのは江戸切子のグラスだ。かなり値は張ったらしいけど、私に恥をかかせたくないという親心なんだろう。
「気に入る…何ですやろ…開けてみてもええですか?」
「はい」
 叔母さんは大切そうに包みを開けた。
「まぁ、なんと美しい!」
「おまっ、これ江戸切子じゃん! 随分奮発したな、小母さん」
「ちょっ! ここでそんなこと言わないでよ、恥ずかしい…」
「遊ちゃん。人からもろた物の値踏みやなんて、そういうのを『無粋』と言うんどすよ。江戸っ子のからに粋も知らへんなんて、情けへん…」
 叔母さんの言葉にその場がどっと沸いた。


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