マタニティダイアリー:初期流産

 妊娠発覚から流産手術まで、わたしが体験し、感じたことを書き綴ってみました。
 本当に率直に書いてあるので、見苦しい内容もあると思いますが、これがわたしに起こった現実ということで軽く読み流してやってください。

 どちらかというと、これから妊娠、出産を考えている方やその周りの方に、一経験談として読んでいただきたいものですが、興味がおありの方ならどなたでも どうぞ。

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妊娠発覚から流産の診断まで
 今回の妊娠は、初期流産という悲しい結果に終わりました。今回のことでわかったのは、前の妊娠、出産が順調だったからといって 油断しないこと。少しでも変だと思ったら、すぐに病院へ行くべきだったということです。もちろん、出血のすべてが流産と直結しているわけではありません が、やはり妊娠初期は少しの体調変化にも気を使うべきだと思います。

2006年6月28日(水) 陽性!
 朝、妊娠検査薬で調べてみたら陽性だった。第一子のときと同じように即反応していた。念のため検査時間の1分おいたがゆるぎなく陽性。
 生理予定日から大体5日くらい。(いまだに)周期は不安定なのでどうかな? とは思っていたが、今回はなんとなくできているのでは? という勘もあっ た。生理前の胸の張りがいつもと違うのだ。なんというか、授乳していたころの感覚に近かった。なのでもしかして、と思っていたのだ。「母の勘」というもの かもしれない。

 ということで、週末に実家近くの病院へいく予定。どうせ実家のほうで産むのだから、最初からそちらに通院していたほうがいいよね。

 最近の検査薬は結構正確だというが、それでもやっぱり病院に行って胎盤が作られ始めているか確認しないと落ち着かないよね。それに、正常妊娠かどうかも 気になる。第一子のときは妊娠検査薬陽性=正常妊娠だと信じていたけど、いろんな知識を仕入れたから……。

6月29日(木) つわり?
 夜、おなかがむかむかしてなかなか寝付けない。どういう姿勢をとっても落ち着かないし、あんまりごろごろやっていると気持ち悪くなってくる始末。
 これは、つわりのはしり?

 ダンナが「そういえばボウズのときも、妊娠がわかる前に体調崩してたね」と。
 時期的に同じくらいにあたる今。なるほどと納得。
 ボウズの時は妊娠発覚ごろにいったん持ち直し、それから半月後に本格的なつわりが始まったが、今回はどうなるだろうか。

7月1日(土) 初検診
 実家の近所(車で10分強)の産婦人科へ検診に行く。1人目のときにかかった産婦人科は他所に移転していて、その次に近くて評判のいい病院へと向かっ た。

 ここは予約はないらしく、診察券を出した順番のようだ。
 初診なので、問診表の記入から始まる。かなり細かなことまで聞かれた。

 待合室は結構広く、子供が遊べるスペースもある。たいがいは妊婦さんとお母さんという組み合わせ、上に子供がいる人たちは連れてきている。土曜日という こともあってか、夫婦で来ている人が結構いた。妊婦1人で来ているというパターンのほうが少ないくらいで、結構ファミリーで通院しやすい雰囲気なのだろ う。

 検尿の提出と血圧、体重測定は自分でやるようだ。血圧などまで自分で測って提出なら、なるほど看護師さんの手を煩わせずにすみ、スムーズに順番が進むこ とだろう。
 診察は9時からで、わたしは8時40分ごろに着いたのだがすでに12番目だった。

 診察室にはテーブルもあり、親子、夫婦で先生の話が聞けるような体制になっている。なるほど親子や夫婦で来院するのが多いわけだ。

 基礎体温は体温計で記録しているのだがその体温計を持っていくのを忘れてしまった。
 最終月経開始日から6週と判断された。第1子のときは初診でももう7週に入っていたからエコー写真に胎芽(このころはまだ胎児ではないらしい)も写って いたが、今回はちょっと早かったようだ。
 次は2週間後となった。

 家で食事を作っているとあまり食欲がないのだが、外で食べるとなるとまだまだ食欲は旺盛で(笑)、きちんと食べることができた。

7月5日(水) 神経高ぶってる?
 眠気があるのになかなか眠れない。昼寝をしたいのに、横になっても眠れない。
 加えて、左のまぶたがぴくぴくと痙攣するような感じ。顔面神経痛?
 ダンナは「神経が高ぶっているのかな?」という。これから徐々に体の変化が大きくなってくるんだね。
 ボウズのときはつわりがひどかったが、今回はどうだろう? 同じだとすると今月の末から来月にかけてが一番ひどいが、今年の夏は暑くないことを願うばか りだ。

7月15日(土) また3月3日
 産婦人科検診2回目。胎児が動いている姿が確認できたよ。体長1センチ。まだまだ小さいねぇ。1年もしない間に赤ちゃんとして生まれてくるのだから本当 に不思議なものだ。

 さて、排卵日などから計算すると、出産予定日はまた3月3日らしい。だがまだ本格的に決定ではなく、次の検診で胎児の大きさからもう一度計算しなおすだ ろう。
 1人目が帝王切開なので、2人目も切るようだ。自然分娩も体験してみたかったが、安全に出産することを第一に考えると致し方ないことか。
 おそらくボウズと誕生日は前後3日くらいしか違わないだろう。

 それにしても、最近の産院はすごいね。VHSを持ってくればエコーの映像を録画してもらえるようだ。病院の案内を見ると3Dで撮影する機械もあるようだ し、胎児の動きがより鮮明に記録できるのだ。

 今日は妊娠初期の血液検査のために採血もした。診察料1万3千5百円なり。相変わらず高いよね……。
 次の検診は2週間後。それまでに母子手帳を発行してもらわなければならない。いよいよ「胎児」として認めてもらえるようになるんだね。
 あ、またダンナは仕事だよ。

7月18日(火) つわりがひどくなってきた
 ボウズのお菓子のにおいだけで気分が悪くなる。いよいよ本格的につわり到来か?

7月22日(土) 出血&つわり本格化
 夕方、買い物から帰ってきてトイレに入ったら下着に少量ながら血がついている。そういえば、昨日から少し下り物の色が濃くなっていたっけ。
 用を足している間も、なんだか違和感があり、トイレットペーパーにべっとりと血がついている。

 1人目の時にはなかった症状であせったが、ネットで調べると、大量でなければ安静にして様子見することと書かれている。なので横になってゆっくりとし た。
 夜にはほとんど止まっていて一安心。
 だが今度はつわりがきつくなった気がする。夕食は食べられなかった。さすがに何も食べないのはまずいだろうと思ったが、結局スポーツドリンクしか受け付 けなかった。まだ吐くまでには至らないが、これから暑くなるとどうなることやら。

7月23日(日) 出血止まらず
 昨夜はましになっていた出血がまたあった。今回も夕方から特にひどく、だんだん量も増えているように思う。なので、腹痛はないが明日朝一番で病院へ行く ことになった。
 切迫流産なのか、それとも単に元々の生理周期にあった出血なのか。
 もちろん願わくば後者であってほしい。だけど、妊娠の発覚と同様に「母の勘」はこんな場面でも鋭く状況を当ててしまうもので、夜の段階で、もうおなかの 子はだめなのかもしれないという漠然とした思いのようなものがあふれてきた。

 ボウズはしきりに、「あかちゃん、タイタイ」と言っていた。このとき、おなかの子はどういう状況だったのだろう……。

7月24日(月) 流産
ボウズの予言
 朝、心配でご飯を食べられないで横になっていたわたしにボウズが言った。
 「あかちゃん、ねんね」
 この言葉が昨夜の考えを肯定しているような気がした。

病院へ
 母に迎えに来てもらって、車で病院へ。長引くと困るのでボウズはお義父さんに預けることにした。
 道中、母と「大丈夫だよね」などと話していた。でも後になってから2人ともだめだと思っていたということが判明。勘が鋭い親子である。

 受け付けで「出血があります」と伝える。いつものように(といってもまだ3回目なのだが)検尿と血圧、体重測定を済ませて待つようにと指示された。
 出血があると伝えたからちょっとは早く診てくれるのかな? と淡い期待を抱いていたが現実は厳しかった。順番は変えられなかったようで、1時間半ほどで ようやくまわってきた。病院側にとって、腹痛を伴わない初期の出血というのは救急で運ばれてくること以外は特別珍しいものでも、順番を早める要素でもない のだろう。

 早速内診ということになり、エコーで子宮内が映し出される。胎児はいた。だが心拍が確認されなかった。
 つまり、もう胎児は死んでいるということだ。

 つい先週まで一生懸命に動いていた胎児。その時より少し大きくなっていたが、ぴくりとも動かずに写っている。
 先生は、「明日まで様子を見て、心拍がなければ流産です」と。
 明日心拍が見られれば、と淡い期待を抱きながらも、もうだめなのだろうと確信していた。
 だって、ふと気づけばつわりの症状が嘘のように引いてきていたから。つわりは正常妊娠の証のひとつ。それが急に収まる時期でもないのになくなったという ことは、正常妊娠ではなくなったということなのだと、頭ではわかっていた。

 明日はダンナと一緒に、11時半ごろに来る事、朝9時以降は飲み食いしないように言い渡される。出血が増えたり、おなかが痛むようなら病院に電話するよ うにと言い渡され、帰途につく。
 診察代は1500円ほど。流産の危険性ありという事で保険が利いたのだろうか。

 ダンナにメールで伝え、実家に戻ってからお義父さんに連絡した。今夜仕事が終わったらダンナがボウズを連れて実家に来ることになった。

ごめんね
 実家に戻ってから、1人でいると涙があふれて止まらない。
 産んであげられなくてごめんね。せっかくおなかに来てくれたのにね。
 そんなフレーズばかり頭の中に浮かんできたから。

 初期流産の原因は、母体が強い衝撃を受けたりなどよほどの事がない限り胎児にある。染色体異常だったり、この先育っても奇形になったり、障害があったり という可能性が高い。だから初期のうちに流産という形で外に出て来るのだ。たまたま弱い受精卵になってしまったのだ。
 理屈では判っているけど、突きつけられた「流産」という現実は、予想していてもこたえた。

下腹部が痛み出す
 夕方まで、うつらうつらと短い昼寝を繰り返し、夕食時を迎えた。本当はダンナが来るまで待っているつもりだったが、下腹部に鈍痛が始まったので先にご飯 をいただいた。もしかすると夜中にがまんできなくなる可能性があるから食事は早いほうがいいと思ったのだ。

 ところが、少なくとも夜中までは耐えられると思っていた痛みが、徐々にひどくなってくる。
 ずっと重く鈍く痛む中に、時々子宮をぎゅっと圧迫されるような引っ張られるような、なんと言い表してよいのやら悩むのだが、やや強い痛みが混じってき た。
 これは、ひょっとして出産前の陣痛のようなものなのかもしれないと思った。その強い目の痛みは、痛くなったりなくなったりを繰り返していたのだ。

 ダンナが到着してすぐに病院へ電話を入れる。出血が増え、下腹の痛みがでてきたと訴えかけるとしばらくの保留音。すぐに病院に来てくださいといわれた が、やっぱり予定外の患者は厄介なんだろうなぁというのが、なんとなく伝わってくる対応だった。
 できるなら何とかがんばってみるつもりだったが、夜を耐え切る自信はなかったからしかたないよね。

進行流産
 病院へは家族総出で向かう。両親がボウズを適当にあそばせた後に連れて帰って寝かしつけてくれるという。

 まずは内診。
 胎児の心拍はやはりなかった。入れ物である胎嚢ごと子宮の入口まで移動してきているという。進行流産ということで、すぐに手術が決定した。自然の排泄に 任せて、もしも内容物が残ったら、それが排除されるまでいつまでも出血しつづけて完治が遅れるから、手術で綺麗に取り払うのだ。

 手術が決定したので、ダンナと共に説明を受け、同意書にサインした。

手術・その後
 術後にダンナと話したのですが、人一人が生まれてくるということは、とても難しく、とても尊いことですね。
 1人目が順調だっただけに、妊娠すればきちんと生まれてくれるものだと思っていました。流産だなんてこれっぽっちも頭の中にありませんでした。ですが聞 けば、初期流産は10分の1で起こるということです。結構高い確率ですよね。
 あの子がいたのは2ヶ月ほど。でも、大切なものをたくさんくれました。いつまでも失ってしまったことばかりに目を向けず、この経験を糧に、次へと進みた いです。

7月24日(月) 流産
手術前準備

 子宮口から機械を入れて内容物を掻きだす掻爬(そうは)という手術だ。
 言ってしまえば、妊娠中絶と方法は同じ。
 決定的に違うのは、流産はもう胎児に命がなく、中絶はまだ胎児が生きていて正常な妊娠状態であるのに無理やり引き剥がすことだ。

 さて、子宮口から機械といっても、まだ開いていない。どうやら3センチくらいらしいが、さすがに機械を入れて作業するには狭すぎる。ということで、水分 を吸収して膨らむ綿を子宮口に入れ、2時間くらい置く、という前準備が施された。

 その処置が施されたのが21時。ダンナが23時まで付き添ってくれた。
 両親とボウズはいつの間にか帰っていた。22時半にボウズが「ママ、パパ」と大泣きしているというメールが母から入った。ダンナだけでも帰るかと相談し たが、どうしようもなく寝付かないと、次にメールなり電話なりがあったら帰るということに。結局それ以降連絡はなかった。

 正直、ダンナがいてくれてよかったと思う。1人で待ち続けるのは苦だったろう。きっと枕の周りはびしょぬれになっていたに違いない。
 23時になり処置室へ。処置室といっても、いつも外来で使っている内診台だ。

「終わりました」
 先生が内診台の近くに座り、手術開始。
 まず子宮口近くに入れてあった綿を取り出し、局部麻酔。同時に、点滴からも神経を鈍らせる薬が投与された。
 頭も、体もふわっと浮くような感じになり、感覚が鈍っているのが判る。母に後から聞くと「笑気麻酔」というものだろうと。あの、歯医者などで痛みに弱い 人用に使われる笑気麻酔と同じだ。それを全身にめぐらせたのだ。

 子宮口を広げながら中のもの――胎児の亡骸などを掻きだす。時間にして5〜10分ほどだったろう。だが、帝王切開の時と同じように、永遠に続くのではな いかと思うような苦痛のとき。体の痛みは今回の方がましだが、心の痛みは……。
 できる限りずっと手を握ってくれた看護師。その手の温かみだけが救いだった。

 手術中は力を抜いていた方が痛みが少なくてすむ。そう聞かされていたのでできるだけだらっとさせていたはずだ。だが麻酔の影響で、今自分が力んでいるの か弛緩しているのかさえ曖昧だった。
 気丈に振舞っていたつもりだった。手術中も看護師とちょっとだけ他愛もない会話をした。だが、医者の「終わりましたよ」の一言でこらえきれなくなって、 診察代の上で嗚咽が漏れた。自分でもどうしようもなかった。

麻酔が醒めて
 手術後、車椅子に乗せられて病室へ。車椅子に乗ると、途端に両足が震えだした。やはり今まで力が入っていたのだろうか。
 笑気麻酔の影響で運動能力も低下している。看護師に支えられてベッドに横たわる。両足の震えはしばらくすると落ち着いてきた。
 ろれつが回らない。言葉が自分の言葉でないみたいだ。頭は妙に冴えているのに体はままならない状況だった。

 ダンナは残ってくれていて、朝まで付き添ってもらうことになった。ちょうど2人部屋のベッドが両方空いているので、ダンナもベッドで休めることになっ た。よかった。
 麻酔が醒めてくるまでダンナには話し相手兼介助者になってもらった。まぁ介助といっても喉が渇いたからお茶がほしいと頼めばパックのお茶を手に渡してく れることくらいだけだったが。それでも大助かりである。

 炎症止めの点滴が終わるまで2時間近く。その頃には笑気麻酔も醒めてきていた。
 日が変わって1時半ごろ、巡回に来た看護師が、わたしの意識が随分はっきりとしていることを確認。さすがにこれ以上つき合わせては申し訳ないのでダンナ は隣のベッドへ。
 ダンナは、さすがに疲れたのだろう。すぐに寝付いたようだ。眠りは浅かったみたいだが、眠れているなら問題ない。

 わたしは眠れぬ夜を過ごす事になった。

7月25日(火) 退院
眠れぬ夜
 結局、ほとんど徹夜だった。目をつぶっても浮かぶのはろくでもない映像ばかり。楽しい事だけ考えるようにしようと思っていても、ふと眠くなるととんでも ない映像が現れて、怖くて目が閉じられなくなった。
 意識は妙にはっきりしていて、起きているのに苦痛はなかった。なので、MDウォークマンをずっと聞いていた。用意していた5枚すべて。
 音楽のおかげで最悪のビジョンが目の前に流れることはなかった。おかげで少しうつらうつらしている時間はあった。だが結局、夜明けまで記憶にない曲は1 曲もなかった。

 夜中、ちょっと院内をぶらついてみた。自分のいる階は病室ばかりで、廊下の端にショーツやら、ミルクの試供品やらの自販機があった。
 下の階はナースステイションと新生児室で、廊下の端には飲み物の自販機があった。喉が渇いたらここに買いに来ようなどと、起きて活動していれば結構余裕 をもったものの考え方ができるようになってはいた。

 朝6時ごろになって、ダンナも起きてきてわたしのそばについていてくれた。

朝食と診察
 8時、朝食が出た。ダンナには悪いと思いつつ食す。寝不足の影響か、ゆっくりとしか食べられない。だが出されたものはすべて食べる事ができた。
 9時前、両親がボウズを連れてやってきた。ダンナもここでようやく食事。昨夜は結局実家に着いてからすぐに出ることになったので、バナナ1本しか食べて いない。昨日の昼食から、実に20時間近くぶりのまともな食事だった。ゴメンねダンナ。
 わたしの食器にはまだデザートが残っていたがボウズがあっという間に取っていってしまった。さすが食べ物には目が早いボウズである。
 そのボウズは昨夜、0時半まで泣きつづけていたようだ。やはり彼にとって、寝るときに両親がいないとだめなんだね。ゴメンねボウズ。

 10時前に診察に呼ばれた。エコーで中をチェックするのかと思っていたら、触診だけだった。思い切りおなかを押されて痛い痛い。

 この診察、外来患者がくる1階ではなく、昨日探検した階で行われた。ナースステイションのある階だ。あの時は暗くてよく見えなかったが他にも処置室や、 入院患者用のラウンジなどもあった。
 次にここにお世話になるときは、ぜひとも新生児室やラウンジを活用する入院でありたい。

 すぐに退院かと思っていたら、退院後の注意事項を伝えるから病室に戻ってくださいと言われる。荷物もって出てきたのにまた戻る家族一同であった。

退院
 注意事項は、体に負担をかけすぎないこと、入浴を禁じる(次の日からかけ湯は可)、1週間後に診察を受ける事であった。
 次の子を考えているなら、最低1回は月経を迎えた方がいいだろうと看護師に言われた。医者は2、3回は飛ばして、と言っていたが看護師は1回でも迎えた らもういいんじゃないかな、と。
 月経再開は個人差があるが、早ければ2〜3ヶ月だそうだ。なので、子作りは4〜5ヵ月後かな? 半年空いたとしたら、ちょうど季節が逆になるね。それも いいかもしれない。

 続いて、会計の話。手術代、1泊の病室利用料、朝食代などを含め2万強。もっとかかるかと思っていたが予想よりも安かった。

 結構ゆっくりと病室を使わせていただき、退院は11時ごろとなった。

24時間ぶりの睡眠
 家に帰ってもなかなか寝付けない。疲れているし、寝不足から軽い頭痛がでているくらいなのに眠れない。眠気というものが来ないのだ。
 仕方がないので、布団でゴロゴロとしていた。

 ボウズがそばでいたずらをしてなかなか寝られないのもある。母がボウズを買い物や散歩に連れ出してくれた。
 お昼過ぎ、ようやく眠気が訪れて昼寝。24時間ぶりのまともな睡眠だった。
 かなり深く眠っていたらしい。実際は3時間にも満たない睡眠時間だったが、一瞬で起きたような気がするくらいにぐっすりと寝ていたようだ。
 一旦寝付くと、今度は起きるのが苦になってくる。が、夕食はちゃんと食べないと薬が飲めないので起床。これなら今夜は比較的早く眠る事ができるだろう か。

ありがとう
 ダンナは明日からまた仕事なので家に帰ることになった。出発する時に「気落ちしないでね」と声をかけてくれた。
 ボウズに気をとられていたのと、正直、そんな言葉がかけられるとは思っていなかったので聞き逃した。母が教えてくれたので慌てて返事。

 ダンナが行ってしまってから母に「あんなふうに言われるとは思わなかったから」と言うと、「彼だって、昨日は泣きそうな顔してたんだよ」と言われ、わた しは、自分の事しか頭になかった事に気づかされた。

 ダンナだってつらいんだ。彼だってあの子の親だったのだ。辛くないはずがない。なのにわたしのことをしっかりと気遣ってくれて、自分の悲しみは見せまい としてくれていた。
 ありがとう、ダンナ。

 わたしの両親も、懐妊をとても喜んでくれて、第二子の誕生を楽しみにしてくれていた。辛くないはずがない。なのに、ボウズの面倒を一手に引き受けてくれ て、食事の世話をはじめ色々なことをしてくれている。
 ありがとう、お父さん、お母さん。

 ボウズは相変わらずいたずらボウズだけど、何より無邪気な笑顔としぐさで癒してくれる。
 ありがとう、ボウズ。

 心配しながらもあたたかく励ましてくれたお義父さんもありがとう。明日はボウズの着替えを持ってきてくれる。普段からずっと支えてくれていたのはお義父 さんだよね。

 そして、たった2ヶ月、発覚してからは1ヶ月だけれど、わたしのおなかに宿ってくれた小さな命。あの子からはいろんなことを学ばせてもらった。この経験 を少しでも役立てたい。それが、あの子がわたしの中に少しだけでも存在した証だと思う。
 ありがとう。バイバイ。今度またおなかに来てくれたら、元気に生まれてきてね。

 きっと、失った命を思って泣いてしまうときがまだまだたくさんあると思う。これを書いている今も、結構つらい。こうして記し、公開することにも迷いは あった。でも、わたし達家族の記憶にとどめておくために、悲しみや「ああすればよかったかも」などという後悔だけじゃなくて、あの子が家族に愛されていた ということを覚えておきたいから、書くことにした。
 これから妊娠、出産を考える人、迎える人が、この経験を読んで、初期流産の1体験談を何かの役に立ててくれたなら、とても嬉しく思う。

7月26日(水) 子宮収縮
 基礎体温が低温(36.4)まで下がっていた。体は着実に元に戻ろうとする。
 まるで妊娠などしていなかったかのような体調の変化。つわりなどもうまったくないし。あっけないものだ。残られても困るけどね。

 朝、食事の後薬を飲むと、1時間後くらいに子宮のあたりがきゅ〜と痛くなってきた。子宮収縮剤が効いているのだろう。それにしてもすごい痛みだ。やはり わたしは戻りが早いらしい。それに、出血はほとんど見られなくなってきた。
 後は中に細かな傷が残ってないか、細菌感染がないかだ。バッチリ回復しているといいなぁ。

7月31日(月) 術後の検診
 産婦人科に術後の検診に出かけた。
 超音波エコーで映し出された子宮内はとてもきれいさっぱりだった。
 順調に回復したので、もう安静期間は終わり。風呂も入っていいし、日常の生活に戻る。

 先生は、もう問題ないので、生理が再開したら子作りをしてもよいとおっしゃってくれた。生理再開は順調に行けば1ヶ月くらいだろうということなので、早 ければ秋には次の妊娠、ということになる。
 また、今回流産だったからといって次も流産しやすいということはないようだ。なので安心してくださいとも言われた。その言葉を信じたい。

 病院から実家に戻り、昼過ぎには自宅に戻った。

 7月1日の初診からちょうど1ヶ月。これで、今回のマタニティダイアリーは終わりだ。
 第一子が順調だっただけにショックだったが、気持ちも新たに次の子を授かりたいと思う。

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